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通院が難しい人のもとへ。“移動する診察室”がやってくる

モバイルクリニック 第1回|伊那市に見る、看護師とオンライン診療がつなぐ医療

記事一覧用紹介文:診察を受けたいのに、病院まで行くのが難しい。伊那市のモバイルクリニックを手がかりに、診療の流れ、看護師の役割、妊産婦健診への広がりを紹介します。

カテゴリー・タグ:医療と地域/地域医療/モバイルクリニック/オンライン診療/医療アクセス

病院までの道のりを、私たちはどこまで想像できているでしょうか。玄関を出て、車に乗り、受付をして、診察を待つ。移動手段を確保するだけで、家族の予定を調整しなければならない人もいます。診察室で過ごす時間は短くても、通院は一日の大きな用事になります。

そんな通院の負担に対して、診察を受ける場所のほうが近づいてくる仕組みがあります。「モバイルクリニック」です。長野県伊那市の取り組みから、移動する診察室が誰を支え、どのように地域の医療とつながっているのかを見ていきます。

車の中に、医師はいる?

伊那市の専用車両「INAヘルスモビリティ」に乗って患者の自宅付近へ向かうのは、看護師です。医師は医療機関に残り、車内の患者とビデオ通話で話します。患者のそばに医療者がいる状態で、離れた場所から診察を受ける仕組みです。[1]

「移動する診察室」と聞くと、医師を乗せた車が巡回する姿を思い浮かべるかもしれません。伊那市の特徴は、オンライン診療と看護師の訪問を組み合わせていること。車は移動手段であると同時に、通信機器や診療に必要な設備を患者の近くへ届ける場所にもなっています。

出発点は、地域で受診を続けるために

伊那市の事業は、2019年12月に始まりました。実証を経て運用され、高齢者などの通院支援に加え、妊産婦の健診へも用途が広がっています。2025年には、妊産婦健診の利用増加を受けて専用車両を追加しました。[2]

ここで考えたいのは、移動が難しいという事情が、診療の継続を左右しうることです。家から医療機関までの距離が同じでも、自分で運転できる人と、毎回送迎を頼む人では負担が違います。医療を届ける方法を考えるときには、病気に加えて、暮らしの条件にも目を向ける必要があります。

予約から診察まで、どう進む?

伊那市の利用案内では、まず、かかりつけの医師に相談します。説明を受けて同意したうえで診療日を決め、希望する駐車場所を事前に確認します。当日は指定の時間と場所に車両が訪れ、看護師のサポートを受けながらオンライン診療を行い、次回の予約をして終えます。[3]

利用できるのは、事業に参画している医療機関です。希望すれば、どの医師とも車内でつながれる仕組みではありません。[1] いつもの診療と接続した予約制のサービスだからこそ、前回の状態を踏まえた相談や、次の受診への引き継ぎが意味を持ちます。

画面の向こうの医師と、隣にいる看護師

患者のそばに看護師がいるオンライン診療は、「D to P with N」と呼ばれます。Dは医師、Pは患者、Nは看護師です。伊那市の診療録を調べた研究では、問診と聴診を中心に、必要に応じて採血や心電図も実施されていました。車内に機器があっても、すべての診察で検査を行うわけではありません。[4]

隣にいる看護師には、機器の操作を助けるだけでなく、患者の言葉や状態を医師につなぐ役割があります。一方、遠隔の医師が得られる情報には限りがあります。オンラインで続けられるか、対面で確かめる必要があるかを判断し、その先の診療につなげることまで含めて考える必要があります。[7]

妊婦健診にも、診察室がやってくる

伊那市では2022年度から妊婦健診・産後健診にも活用し、2025年11月には専用車両「い~なエール」の運用を始めました。市の案内で対象とされているのは、妊娠22週以降の妊婦健診と産後2週間健診です。利用には担当医師や助産師からの説明と同意が必要で、状況によっては希望に添えない場合もあります。[5]

専用車両にはエコーなどの設備があり、家族も同席できます。車内は産婦人科スタッフの意見を取り入れて整えられました。[6] たとえば、上の子の世話と受診の予定を調整する家庭にとって、自宅の近くで健診を受けられることには、移動時間の短縮を超えた意味があると考えられます。

ただし、この取り組みがあるからといって、妊娠中のすべての健診を車内で完結できるわけではありません。市が示す対象時期と担当医療機関の判断を踏まえ、必要な対面での健診と組み合わせて利用するものです。また、「利用による追加料金なし」という案内は、健診費用そのものが一律に無料という意味ではありません。[5]

実際には、訪問診療と組み合わせている

2026年公表の研究は、伊那市の一つの診療所について、2023年度の利用状況を調べています。対象は19人、平均年齢は87.7歳。モバイルクリニックの診療は延べ81回で、多くの患者が医師の訪問診療と組み合わせて利用していました。これは市全体の利用者数や総実施回数ではありません。[4]

この結果から見えてくるのは、一人の患者に複数の診療方法を組み合わせる実践です。一つの診療所の記録から、すべての地域で同じ成果が出ると結論づけることはできません。それでも、通院・訪問・オンラインを患者の状態に合わせて使うという視点は、地域医療を考える手がかりになります。

「病院に来られるか」から考える医療

モバイルクリニックは、治療を受けるために患者が動くという前提を、少し変えてくれます。ただ、車が近くまで来ることだけで、受診の困りごとがすべて解消するとは限りません。家から車まで移動できるか、安心して相談できるか、診察後に薬を受け取れるか。確認したいことは、その前後にもあります。

医学生として地域に出るときには、「通院はどうされていますか」と尋ねるところから始められます。誰が送迎しているのか、どのくらい予定の調整が必要なのか。その答えは、診察室では見えにくい患者と家族の生活を教えてくれるはずです。

次回は北上市や奥州市、海外の具体例を見ながら、移動する診察室を地域で続けるための条件を考えます。看護師や運転手、薬局、自治体まで視野を広げると、この仕組みを支える人のつながりが見えてきます。

参考資料・出典

[1] 伊那市「モバイルクリニック」

[2] MONET Technologies「長野県伊那市の医療MaaSの取り組みにおいて、妊産婦健診向けの専用車両を提供」(2025年10月)

[3] 伊那市「モバイルクリニック ご利用手順」(PDF)

[4] 川野道宏ほか「高齢者のオンライン診療を担う伊那市医療MaaS事業『モバイルクリニック』の現状と課題」日本農村医学会雑誌 75巻1号、37–44頁(2026年)

[5] 伊那市「モバイルクリニックによる妊婦健診・産後健診」

[6] 伊那市「オンライン妊産婦健診専用車両 説明資料」(PDF)

[7] 厚生労働省「オンライン診療について」